2004/6/10 読売新聞

■<<

「軍艦島」人消えて30年。再脚光で近く定期船も

沖に浮かぶ威容から「軍艦島」(長崎県高島町)
として知られる炭鉱の島が、
閉山・無人になって今年で30年を迎え、
廃墟ブームにものって、
日本初の鉄筋高層住宅などを残す歴史的側面、
あるいは海上の観光資源として脚光を浴びている。


9日には長崎大学に、<軍艦島学>の研究会が発足した。
市民団体は軍艦島を世界遺産に登録をと意気込み、
7月には閉山後初の定期航路が開設される。


軍艦島(端島)は海に囲まれた条件が幸いし、
炭鉱跡や町並みが、ほぼ完全に残っている。
生きた歴史遺産として修学旅行地としても注目されている。
こうした背景も見据え、長崎大学に9日、
学内の研究者ら約10人による研究会が発足した。
研究会の後藤恵之助教授によると、
人口が超過密だった軍艦島は、都市対策の示唆に富む。
日本初の鉄筋高層住宅が残り、
「緑なき島といわれ、1910年ごろには、
屋上緑化を手がけている。
階段は昇降しやすい高さになっている」と後藤教授。
保全や活用を視野に、建造物や護岸の劣化ぶりを調べたりする。




民間ではNPO法人「軍艦島を世界遺産にする会」
(坂本道徳会長)が、署名集めやシンポジウムを展開している。
戦時中は、朝鮮半島から徴用された多数の労働者が
労働に従事したという軍艦島。
世界遺産登録には、文化庁の文化審議会の
専門家の推薦をもとに、国が推薦する「暫定リスト」に
記載される必要があるなど、道のりは長いが、
坂本会長は、「残すだけでなく、歴史も長く伝えたい」と言う。


高島町と来年1月に合併する長崎市は、
観光資源にしたいと意欲的だ。
定期航路は長崎港を出て軍艦島の周囲を回り、
野母崎町まで周遊する。
同市の海運会社が、7月から10月まで、
毎週土、日曜に2往復運行する予定だ。


かつて石炭は“黒いダイヤ”と呼ばれたが、
石油などに押され現在は細々と生産されているだけ。
その盛衰を包んで廃墟と化した軍艦島は、
新しい価値観で輝こうとしているようだ。

(配信部 高橋政典、長崎支局 緒方慎二郎)

■<<